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「杉の花粉」の独断と偏見に満ちた愛読書紹介コーナー

「杉の花粉」の独断と偏見に満ちた愛読書紹介コーナー

○「欝(うつ)」について

 「欝(うつ)」について

 私は現在「うつ症状」であるという診断書を貰い、2週間に1度の割合で精神科を受診し、自宅療養をしています。
 職場復帰に2度失敗し、3度目にあたる今月(1月)27日の職場復帰を目指し試行錯誤の毎日を送っています。
 ですから、人様に「こうすれば欝(うつ)を克服できる」なんてオコガマシイことを言うつもりはありません。
 ただ、3度目の職場復帰に備えて、「私の試行錯誤の日々を、そして自分自身を振り帰る時期にきている」と考えています。そこで自分なりに纏めてみました。

1 欝(うつ)の始まりについて
 私の場合は、「職場」と「家庭環境」が重要なキーワードだと考えています。
 「職場」については、今から8年前に遡ります。
 その頃、私の属するグループは、組織全体を揺るがす大きな問題の解決を迫られていました。
 私とは、5つも年が離れていない若い職員が、実質的に計画を進めており、部長や組織のトップは完全に彼を信頼しています。
 地元が反対と賛成に別れ、事業者と国が推進する事業です。私の属する組織は過去からの負の資産を受け継ぎ、前にも後ろにも進めない状況にありました。

 そんな緊張した職場ですから、皆に強烈なストレスが溜まります。そして、ストレス発散の方向は、グループに属する「より弱い者」に向けられてしまうのは、非難されることなのかも知れませんが、グループ全体の健全性を確保するためには「必要なこと」だったのではないかと考えています。
 最初の1年は、部次長、課長補佐級の職員がターゲットにされました。
 次の年は、グループリーダーと私でした。
 
 その頃は、まだ独身で、家には脳梗塞のため療養中の父親がいました。
 母親は、既に10年以上前に亡くなっており、父親の世話は地域の社会福祉協議会に依頼していましたが、糖尿病があるのに甘いものが好きな父親は、3ヶ月に1度の割合で夜中に救急車を呼んで緊急入院を繰り返します。
 私は、直接介護はしていませんが、父親が救急車で運ばれては、必然的に「忙殺されている職場」を度々休むことになってしまいます。
 また、ストレスからTVゲームに嵌まり込み、帰宅するとスイッチを入れ、酷いときには明け方の4時までゲームをしていることがありました。
 そんな状態でまともな仕事が出来る訳がありません。
2年置いて貰ったものの、その次には閑職へ飛ばされました。
 前の職場では、「働いていない自分」を「働かせてもらえない自分」に置き換え、次の職場で精神的なバランスを図っていたような気がします。
 
転勤して2年目に結婚することになりました。
 2つ目のキーワード「家庭環境」です。
 妻は、かつてストレスから6ヶ月ほど「欝(うつ)病」で入院したことがあります。
 結婚する前から知っていて、無理をさせないように自宅で家事をして貰うことになりました。
 彼女は調理学校に席を置いたことがあり、作る料理は、野菜タップリで醤油や塩、砂糖を殆ど使いません。出汁から自分で作るので、非常に美味しいものです。
 ただ、非常に時間がかかります。
 両親が共働きで、男ばかりの3兄弟の中で育った私は、「時間通りに、質より量」が重要でした。

 私は気付いていなかったのですが、「夕食の時間」が遅いと繰り返していたようです。
 更に、気に入らない作業中心の職場で働いていると自然不機嫌になることが多かったようです。
 そうするうちに敏感な彼女は、夕食を作らなくなりました。いえ、作れなくなったと言った方が良いのかも知れません。
 職場からの帰宅途中にスーパーマーケットで弁当を買うことが多くなります。

 「欝(うつ)病」がどんなものか、頭で理解しているつもりの私は、つい「夕食ぐらい作ってよ」と言ってしまいます。
 そのうち、彼女は対人恐怖が出てしまい全く外出できなくなります。
 そのため、私が部屋にいると一緒に話しているのですが、昼間は眠ってしまいます。
 私が寝ようとしても、夜、眠れない妻は、ベッドの私の隣でゲームをするようになりました。
 私が疲れていれば問題なく眠れたのでしょうが、忙しい職場は人間関係なんて言っている暇がありませんから、一般的には仕事は大変ですが人間関係で苦労することは余りありません。  
 しかしながら、職場が暇だと人間関係が難しくなります。
 
 職場での人間関係で精神的に疲れてしまうため、隣のボタンのクリック音が気になって眠れません。
 何週間かに1度は、「夜中は眠って欲しい」と叱り、妻が泣き出します。
 非常に危機的な状況でした。

2 欝(うつ)状態の発症について
 2年前に転勤して、今度は別の意味で神経を使う職場になります。
 最初のうちは、これでやっとマトモな職場に復帰できたと喜んだものですが、非常に細かいことまで上司共々神経を使いますので、酷く疲れてしまいます。

 それ以上に自分の将来を漠然と考えるようになりました。
 「本当に私は、こんなことをしたかったのか?」
 「こんな人生で楽しかったと言えるのか?」
 今の仕事をすること自体に疑問が溢れだします。
 精神的にまいってくると何故か風邪を引きやすくなり、休みが多くなります。

 平成16年の8月に遂に「仕事を辞めてしまおう」と考えるようになりました。
 晩婚のお陰で未だ子供もいませんし、無責任ですが、付いて来れば良いし、付いてこなければ妻は実家に帰るだけのこと。
 ただ、微々たる退職金は多分2年ほどで食いつぶしてしまいますし、特別な技能がある訳じゃありませんから、40歳になってからの転職はかなり困難です。
 でも仕事をしたくありません。
 そんな私を見て「嫌なら辞めてしまえば良い。後はどうにでもなる」と妻は励ましてくれるのですが、「後がどうともならなかった場合はどうするのか」を考えてしまいます。

 それ以上に、職場を辞めることを、「昔からお世話になっていて、仲人までしてくれた方にどうやって説明するのか」、「妻の実家に何と報告すればいいのか」そして「仕事を辞めますとどうやって上司に説明するのか」が、何より億劫でした。

 何も出来ず、鬱屈した日々を送る私を見て「全部自分が悪いんだ」と思い込んでしまった妻が完全に「欝(うつ)病」を再発してしまいました。
 妻によると「担当医師と合う合わないが非常に大事なこと」だそうで、かつて入院していた頃の担当医師を探して受診したいと言い出します。

 本来は受診する妻の付き添いであった私は、最初の受診前のカウンセリングによって患者になってしまいました。
 二人して診察室に入り医師からのカウンセリングを受けます。
 今の公立病院は全て同じなのかどうかは判りませんが、ここでは薬物より「患者の様子を医師が聞き出して適切なアドバイスをする」というカウンセリングが主体です。
 妻は現状をポツリポツリと話します。医師がアドバイスしてくれます。そして妻が・・・
 そして私に変わって『「もっと自分らしく生きたい」と思うようになって、職場に行かなければならないと思うと、朝、動けなくなる』と説明します。
 私は「欝(うつ)状態」と診断されました。

3 欝(うつ)の初期症状について
 先ず、私が「欝(うつ)状態」と診断されるまでの経緯を簡単に書きました。
 ここでは、私の場合、「欝(うつ)」とは、どういう症状が出ていたのかを、ここで思い出してみます。
 振り返って考えると、「欝(うつ)」の「先駆け」という状態(第1段階、第2段階)があったように思います。
 
 第1段階と考えられることが3つあります。
 1つ目は、仕事において、自分が「やりたい仕事」と「やりたくない仕事」と思い込むことが多くなりました。
 この2つには、ほとんど違いはないのです。ただ、どうしてもやりたくない仕事だと思い込んでしまうのです。
 そうすると、その仕事は放って置いてしまいます。

 次から次に仕事が舞い込んで来る職場でしたから、それほど目立ちません。
 でも、どの仕事も期限があります。催促があると、「忘れていた、直ぐにやる」と答えるのですが、やっぱり出来ません。
 期限を大分過ぎて催促の声に怒りを感じるようになって、初めて取り掛かり大急ぎで片付けます。
 やれば、直ぐにできるのです。それをしようとしない。これが、最初の症状だったように思います。

 2つ目は、職場では仕事と関係ないことは一切しないという状態です。
 「労働組合関係の仕事」や「同窓会幹事の仕事」など、やろうと思えば1時間もあれば充分です。
 それが出来ない。忙しいといって放って置いてしまう。
 確かに非常に忙しい職場でしたが、出来ない仕事ではありません。
 私が、労働組合の分会長だった時は、全く組合関係の調査も会議もしませんでしたし、同窓会など私が幹事の時には開催されませんでした。
 そのため、分会長や幹事を首になりましたが、関係者に多大な迷惑を掛けてしまいました。
 頭では判っているのですができないのです。

 3つ目は、対人関係に非常に無頓着になります。
 直接、自分の仕事と関係する人とは非常に良好な関係でいようとするのですが、それ以外の人については、完全にどうでもよくなってしまいます。
 ですから、話しかけられれば答えますが、自分から話しかけることがなくなります。
 職場全体の和など、どれほど当時の課長が言おうが、自分には関係ないと鼻で笑っていました。
 この3つのことは、全く同じ時期ではありませんが、6年前に閑職に飛ばされた前後1年間のことだったと記憶しています。

 第2段階に入ると、自宅に帰ってからは、何もしたくないという状態が続きます。
 酒を飲んでは、「何でもないこと」を真剣に議論して、憂さを晴らしていた少数の友人に、自分から連絡を取ることが滅多になくなります。
 相手から電話があれば、長話もするし、酒を飲みにもでかけますが、自分から誘うことはなくなりました。
 帰宅して脳梗塞で療養中の父親の話にも、2回に1回は付き合いますが、直ぐに自分の部屋に戻り何もせず、ボオッとしていることが多くなります。
 以前から私は短気だったのですが、ちょっとした何でもないことに腹を立てることが多くなったのもこの時期です。
 脱水中に何度も止まってしまう洗濯機を殴ったり蹴ったりしてぶっ壊してしまったこともありました。
 完全に孤立し閉塞し始めていました。

 そして、先述した『1欝(うつ)の始まりについて』『2欝(うつ)状態の発症について』と続いていったのです。

4 「欝(うつ)状態」から脱するための試行錯誤について
 『2欝(うつ)状態の発症について』の最後に「私は「欝(うつ)状態」と診断されました。」と書きました。
 その後、私は「欝(うつ)状態」から脱するための試行錯誤を始めます。

 この話は、私のブログ・フリーページの『4「うつ病」への対策、そして「これから」』と重なる部分が多くなりますので、出来るだけ簡潔に書かせて貰います。

 私の試行錯誤は、大きく4つの時期に分かれます。
 最初は「平成16年8月頃から」、次が「平成16年11月から翌年2月にかけて」、次が「平成17年3月から5月にかけて」、最後が「平成17年7月から翌年1月にかけて」です。
 それぞれの時期毎に、症状や私がした試行錯誤を記述します。

(1)「平成16年8月頃から」
 完全に閉塞してしまって「事務所を辞めるかどうかを真剣に悩んでいた」時期です。
 不機嫌で疲れ切っている私を見て妻が「北海道旅行でも旅行しよう!」と提案してくれます。
 欝(うつ)歴の長い彼女は、私の状況を見て気を使ってくれたのでしょう。
 そして「そんなに嫌なら事務所を辞めて!後は何とでもなるから」と励ましてくれていました。
 さすがに、北海道は行けませんでしたが、奈良県の山奥へドライブに出かけ、偶然見つけた、何もない時間さえ止まっているような「天川村」へ2度、泊り込みで出かけました。
 この小旅行による気分転換で、少し気が晴れて、取り合えず今年一杯は仕事を続けてみようと考えるようになります。

(2)「平成16年11月から翌年2月にかけて」
 2度の小旅行の気分転換もここまでが限界でした。
 妻が「欝(うつ)病」を再発して、付き添っていった私も「欝(うつ)症状」と診断された時期です。
 仕事は大詰めを迎えているのですが、初めは「絶対出なければならない日」は気力を絞りきって出勤していたのですが、11月の下旬を過ぎる頃から「朝起きることが出来なくなり」ました。
 有給休暇を貰い1週間連続で休んだこともあります。
 最初は「朝起きることが出来ない」のですが、4日も休んでいると「朝は起きられるけれど、ベッドに座ったまま動けない」状況になります。
 1週間位休むと、気力を振り絞ったら出勤できるようになります。

 でも、そんなに気力は持ちません。
 そのため、かかり付けの医者と話し合って、2月中旬まで1ヶ月の病休を取ることになりました。
 毎日、朝起きて職場に休みの連絡を入れていた、それまでの精神的負担がなくなり、1日中、死んだように眠ります。「眠っては起き、起きては眠る」を繰り返します。
 1ヶ月もすると、精神的に大分楽になったのですが、出勤日が近づくに連れ、眠れない日もあり、初めて睡眠薬を調合して貰いました。

 職場復帰後は、殆どの仕事は他の人が変わってしてくれていましたが、私にしか判らない仕事が随分あります。特に年度末に向かい非常に忙しい時期が続きます。
 結局、「朝起きることが出来なくなる、または、起きられるけれど、ベッドに座ったまま動けない」という11月末と同じような症状となり、再度、病休を取ることになりました。

(3)「平成17年3月から6月にかけて」
 今度の病休は、6月下旬にかけて3ヶ月間です。
 最初の1ヶ月は、前回の病休同様に「1日中、死んだように眠り、そして、眠っては起き、起きては眠るのを繰り返し」ます。ですから殆どこの時期の記憶がありません。
 2ヶ月目に入ると少し楽になってきます。
 そこで、料理などに挑戦したりしたのが、この時期です。
 
 3ヶ月目に入ると、無性に何かをやりたくなります。
 そこで、「朝に強い欝(うつ)病患者を目指して」をキャッチフレーズに体力を付けるため、朝5時過ぎに起きて犬の散歩を始めました。
 最初は、堤防を通って「コンビニで朝食を買う」事をもう一つの目的としていたのですが、少し先にある「コンビニ」へ、そして、更に遠いところにある「スーパー」へと出かけるようになりました。
 歩く距離も、2キロ、3キロと増えていきます。

 フリーページの『4「うつ病」への対策、そして「これから」』にも書きましたが、最終的に11キロを半日かけて歩いてしまい、途中で犬は動かなくなるし、私も帰宅後は動けない状態になり、妻と医者から叱られ、それからは、4キロ前後を2時間くらいかけて歩くようになりました。
 職場復帰を目の前にして、焦りもあったのでしょうが、土砂降りの日など数日を除いて毎日歩き続けました。

 体力は戻りましたので、結構、今度の職場復帰には自信がありました。
 初めは休みがちでしたが、ようやく仕事に慣れるかと思った矢先、職場全員での倉庫の整理があります。
 1日中、炎天下での作業にぶっ倒れてしまい、翌日から職場に行く気力が戻りません。そして、3度目の病休に入ります。

(4)「平成17年7月から翌年1月にかけて」
 職場も半ば呆れながら、完全に治すようにと翌年1月末まで6ヶ月の病休を認めてくれました。
 最初の1ヶ月は毎回同じ、「1日中、死んだように眠り、そして、眠っては起き、起きては眠るを繰り返し」ます。ですから殆どこの時期の記憶がありません。
 2ヶ月目に入ると徐々に精神的に楽になってきます。
 食事の心配を無くすために、月曜日から金曜日まで、毎日宅配の弁当を頼んだり、パソコンを購入して、午前11時までにネットで注文すれば、その日の4時頃に宅配してくれるスーパーマーケットと契約したのがこの頃です。
 そして、転勤で帰ってきた弟が夕食を買ってきてくれたりと、最大の難関であった食事の確保が出来るようになりました。

 例によって3ヶ月目になると、無性に何かをやりたくなります。
 前回は、体力を付けることを第1に考えて、犬の散歩に必死に取り組みましたが、今回は、パソコンです。
 私の職場での仕事は、殆どパソコンを叩いて済ませるものですから、1日8時間はパソコンの前に座っていようと心がけます。
 
 オークションから始まりネット購入、サイト巡りでポイント集めを繰り返していると日に百通を超える業者からのメールが入るようになります。
 これは、大変と殆どのメールをコッソリ迷惑メールに指定して表題だけ見て、消去するようになります。
 そして、自分でブログを作成し、アクセス数に気を揉んだりしていました。

 また、以前からやりたかった「イングリッシュアドベンチャー『追跡』」の和訳を始めます。
 最初は自分で文字入力して、ライブドアの無料翻訳ソフトで和訳しましたが、日本語になりません。
 そこで、「複合ファクシミリ」と「こりゃ英和!一発翻訳(OmCRソフト付き)」を購入し、スキャナーで読み取った映像をOCRソフトで文字認識させてワードに落とし、全文翻訳をかけると大分楽になりましたが、全12章のうち、未だ第3章まで行っていません。

 初めのうちは、1時間でも疲れていたのに、取り合えず、1日中パソコンに向かっていても大丈夫なようになりました。
 しかしながら、犬の散歩を止めてしまったので、運動量が絶対的に足りず、以前は改善傾向にあった糖尿病が悪化してしまい、糖尿独特の偏頭通に悩まされることになりましたが。
 職場復帰まで後、2週間余りです。でも以前のように不安は感じません。

5 今後に向けて
 2週間ほど前に私のブログ・フリーページ『4「うつ病」への対策、そして「これから」』に
『今回も、職場復帰が駄目ならその時どうするか考えればいい。
 悩んで生きるよりは、楽しく。
 後悔するよりは、前を見て。
 そして、自分が好きなことだけをして、あと1ヶ月間精一杯生活してみようと。』
と書きましたが、この2週間、正しく自分の好きなことだけをしてきました。
 
 今、言えることは、『欝(うつ)病』が治ったのかどうかなんて判りません。
 ただ言えることは、3ヶ月でなく、この6ヶ月の長期病休だったから学べたことがあると言うことです。

(1)できるだけ『欝(うつ)状態』にならないようにするために
 『少しでも疲れたと感じたら、キッチリ休息する』

(2)『欝(うつ)症状』が現れ出したら
 『何をしていても、また、それがどんなに大事なことでも、放って置いて、気にせず休息する』
という2点です。簡単なようですが、以前は中々実行できませんでした。

 これからも、否、これからが「欝(うつ)」との本当の対決になるのかも知れません。
 でも、少し自分自身のことが判ったような気がします。
 これを小さいながらも最大の武器として「欝(うつ)」と争ったり、共存したり、また試行錯誤していこうと考えています。

 こんな私の体験が人の役に立つとは、とても思えませんが、一緒に『欝(うつ)』と戦っている方にとって、少しでも参考になれば望外の幸せです。
 以上、『「欝(うつ)」について(私案)』を終わります。


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